河合雪之丞歌舞伎は辞めた!?市川春猿から改名はなぜ!?父や結婚子供は!?
こんにちは、やーまんです。歌舞伎役者として30年近く活躍されてきた市川春猿さんが、河合雪之丞さんとして改名されて2年。歌舞伎役者はもう辞めたということなのか?新派って何?改名の謎や”女方”として有名な河合雪之丞さんの結婚、家族事情などを調べてみました。
プロフィール
河合雪之丞(かわい ゆきのじょう)
生年月日 1970年11月29日(48歳) 出身地 東京都中野区 身長 173cm 所属事務所 株式会社ディーピーエヌ 所属劇団 劇団新派 |
15歳のときに歌舞伎俳優研修に入門。
1988年、国立劇場第9期歌舞伎俳優研修を修了後、初舞台を踏む。
同年、子どもの頃からの憧れであった三代目市川猿之助に入門し、市川春猿を襲名。
1994年、猿之助の部屋子となる。
猿之助が主宰する21世紀歌舞伎組に所属、次代を担う女形のひとり。
1996年、歌舞伎座賞受賞。
2000年、新橋演舞場のスーパー歌舞伎『新・三国志』の彩霞役で名題昇進。
2007年、松尾芸能賞新人賞を受賞。
2017年1月、劇団新派に入団し芸名を「河合雪之丞」に改名。
河合雪之丞歌舞伎は辞めた!?
2017年1月、劇団新派に入団し、芸名を「市川春猿」から「河合雪之丞」へ改名した雪之丞さん。
この一連の流れから、「歌舞伎を辞めたということか!?」と気になった人が多くいたようです。
「劇団新派」とは、明治時代に始まった演劇の一派で、伝統的な「歌舞伎」とは異なる新たな現代劇として発達したため「歌舞伎」を”旧派”というのに対し”新派”と呼ばれるようになったものだとか。
日本人の哀歓や情緒を豊かに表現する劇団として、尾崎紅葉の「金色夜叉(こんじきやしゃ)」、泉鏡花の「婦系図(おんなけいず)」など、身分や経済的な理由で男女が破綻していく悲劇が多いのも特徴。
歌舞伎のような型のある古典ではなく、進撃や小劇場演劇のような現代劇でもない、新派にしかない独特のムードがあると言われています。
明日はいよいよ、京都 #南座 #道頓堀ものがたり の初日です‼️
…ですが、とにかく天気が心配です💦
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雪之丞、久々の立ち役!
お楽しみに!
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とはいえ新派の演技のベースは歌舞伎。
現在は歌舞伎界との交流も盛んで、歌舞伎役者が時々新派の舞台に出演することもあるそうです。
河合雪之丞さんも、2010年から「劇団新派」の舞台に何度か上がり、主演も務めていました。
2014年に公演された「明治一代女」では初の立ち役(男役)を演じ、高い評価を得ました。
そうしてどんどん「新派の魅力にのめり込んでしまった自分がいました」という河合雪之丞さんは、新派ひとすじで活動するため、歌舞伎の世界を離れて「劇団新派」への入団を決意したのです。
そういう意味では”旧派”の歌舞伎界を離れたことになりますが、歌舞伎界の女方として人気を博していた市川春猿さんは新派でも河合雪之丞として女方も演じていくので、ベースは変わらないってことですね。
立つ舞台は変わりましたが、活動の幅が広がったということのようです。
市川春猿から改名はなぜ!?
「市川春猿」として歌舞伎界の女形で30年近く活躍されてきた河合雪之丞さん。
幼い頃から憧れていた歌舞伎の世界に入ってからは、歌舞伎一筋で次代を担う女方のひとりと注目されるまでに成長。
歌舞伎界にいた時から新派の作品に出演していたので、これまで通り歌舞伎界に身を置きながら新派作品に出演することもできたはず。
しかし
「毎年のように新派作品を勉強する中で、徐々に新派入団の気持ちが芽生えて。でも、二足のわらじでできることではない。歌舞伎にいながら、こっち行って、あっち行ってというやり方では、周りにもご迷惑をかけますから、入団という、はっきりとした形をとりました」(zakzakより)
と決意。
改名は
「新たな船出という意味でも、改名はひとつのけじめ。古典も新作も、どんどんいろいろな作品をやって、この名前を大きくしていきたい」(zakzakより)
という雪之丞さんの決意の現れでもあったようです。
「河合雪之丞」という名前は、歌舞伎の憧れであり師匠でもある市川猿翁さんがかつて名乗ろうとした「雪之丞」を授けてくださったといいます。
河合は、新派黄金時代の名女方、河合武雄から受け継いだそう。
最近ではそのキャラクターやトーク力でテレビ番組への出演も増加中。
歌舞伎や女性らしさなどをテーマにしたトークショーにも出演しているそうで、舞台意外にも活動の幅を広げていらっしゃいます。
父親は一般人!?
歌舞伎の世界は代々受け継がれていくイメージがありますが、河合雪之丞さんの父親の職業はNHKの美術スタッフで、後に画家になったという方。
母親は大学の職員という一般家庭のお子さんだったのです。
仮面ライダーやウルトラマンなどが好きで、暗くなるまで友達と遊ぶ普通の子どもだったといいますが、3歳くらいからテレビで歌舞伎をやっているとそこから動かなかったとか。
歌舞伎とは無縁の家庭でしたが、テレビの歌舞伎に食いつく息子を見た家族が、河合雪之丞さんを歌舞伎観賞に連れて行ってくれるようになったといいます。
自分でもなぜ歌舞伎が好きになったのかわからないそう。
そして中学1年生のときに師匠である現・市川猿翁さんに出会い、歌舞伎の世界へ入門する決意をしたのです。
そんな息子を支えてきた父・近藤宣質(のぶただ)さんは93歳。
デイサービスやショートステイなどの介護サービスを利用しながらリハビリを行い、歩行器を利用して歩けている状態だといい、日常的に介護支援が必要だとか。
河合雪之丞さんとお父様はマンションの同フロアに住んでいるそうで、雪之丞さんがお父様に食事を作り、できるだけ一緒に食べたり見たりするようにしているそう。
時にはお酒を一杯付き合うこともあり、お父様の望む残りの人生にできる限り寄り添っていきたいと話されていました。
出典:https://www.news-postseven.com/
ちなみにお母様は2017年暮れに亡くなられているそうです。
結婚や子供は!?
整った顔立ちでスマートなスタイル。歌舞伎役者としても順調だった河合雪之丞さん。
48歳の現在、独身です。
結婚歴は無いようで、子どももいません。
現在も独身であることやその立ち振舞いや仕草から”オネエ”疑惑も出ています。
ですが実際はどうなのでしょうね~
子どもの頃は1年中半ズボンを履くような子だったそうですし、仮面ライダーやウルトラマンなど少年がハマるものにも普通に興味があったといいますし。
「中学時代はちょっと不良で短ランを着て授業をサボって喧嘩をしたこともある」なんてエピソードも。
ただ歌舞伎で女方を演じるようになってからは、舞台で癖が出ないように日頃から女性らしい仕草を心がけるようになったといいます。
そう言いながらどこかでオネエに目覚めたのかもしれませんが。
一人で食事をすることが寂しくて嫌で、必ず誰かと食事をするという雪之丞さんは、一緒に食事する相手が見つからない時は食事を抜くこともあるとか。
男性でも女性でも、必ず一緒に食事をともにしてくれるパートナーが見つかるといいですね。
まとめ
異例の経歴ともいえる歌舞伎役者で俳優の河合雪之丞さんでした。
歌舞伎という伝統的な古典の世界から飛び出し、どんどん躍進しているイメージの雪之丞さん。
これからはそのキャラクターも活かしたお仕事が増えそうで楽しみです!
ドラマや映画など、映像でもお芝居を見てみたいですね。
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