大沢あかねの父親と母親は誰?祖父大沢親分と前妻との孫だった!
こんにちは、やーまんです。バラエティ番組やコメンテーターなどでよく目にしていた大沢あかねさん。
第三子を出産されてからは見なくなったので、専業主婦になったのかと思っていたら、最近芸能復帰したそうで、よく見かけるようになりました。
大沢親分のお孫さんで有名なので、祖父やご両親の恩恵を受けて恵まれた生活をしてきたのだろうと思っていたのですが、実際は違っていたようです。
大沢あかねの父親は誰?
大沢あかねさんのご両親はあかねさんが幼い頃に離婚しています。
そのことについて2009年に出版された自身の自伝『母ひとり、娘ひとり』で触れていました。
あかねさんの記憶では2歳の頃に両親が大喧嘩をしていて、その翌日から父親を見なくなったそうです。
母親からは「銭湯に行ったきり帰ってこない」と言われ、大きくなってから両親が離婚していたことを知ったといいます。
実際に両親が離婚されたのは、あかねさんが3歳の時。
ただ自伝ではその後父親の話は全く出てこないそうです。
メディアでも母親や祖父の親分の話はしても父親に関する話題は全くしていない様子。
つまり、大沢あかねさんの父親については職業含め、どこで何をしているのか不明です。
あかねさん自身も知らないのかもしれません。
一つわかることは、幼い頃から公団の団地住まいをしていたということ。
”元プロ野球選手の孫”からイメージするような裕福な家庭ではなかったのだろうということです。
大沢あかねの母親は誰?
大沢あかねさんの母親、実は「大沢まみ」の名で2013年に女優デビューしていました。
ただ現在も女優業を続けているかは不明です。
「母ひとり娘ひとり、生きていくためには手っとり早く水商売」
『母ひとり、娘ひとり』より
ということで、大沢あかねさんが幼い頃、お母さんは昼はトラック運転手、夜は大阪ミナミのスナックで働いていたといいます。
3年ほどで自分の店を持つようになったというやり手。
幼いあかねさんも母親の仕事場に一緒に出かけていたそうです。
またかなり”破天荒”な性格だそうで、あかねさんが東京にオーディションに行く時には2人でラブホテルに泊まったこともあるのだとか。
そしてあかねさんが芸能界デビューしてからはそれを支えるステージママに。
母親の営業努力もあり、あかねさんは『天才てれびくんワイド』のレギュラーや『ピチレモン』の専属モデルとして東京での仕事が増えるようになりました。
しかし大阪から東京までの交通費やホテル代が嵩み、仕事が増えるほど出費が増える状態で生活は苦しくなったといいます。
そこで中学卒業後の2001年、母娘で上京。
あかねさんはバラエティにも進出し、順調に知名度を上げていきました。
お母様は韓国レストランで働きながら料理と語学を学び、その経験を活かして韓国語の通訳もしていたとか。
さらに2008年に東京都板橋区内に居酒屋「道頓堀」を出店しています。
その後通訳の仕事などの人脈が繋がり、女優業にも足を踏み入れたようです。
お母様はズボラな性格でもあったのであかねさんがしっかり者になり、
洗濯、掃除、料理なども10代の頃からあかねさんがやっていたそうです。
お母様は家庭より仕事に熱が入るタイプのようですね。
祖父大沢親分と前妻との孫だった!
大沢親分こと元プロ野球選手で野球評論家・大沢啓二(享年78)さんは、30代の時に一人目の奥さまと離婚されていました。
前妻との間には息子さんと娘さんがいましたが、男の子を大沢親分が、女の子を前妻が引き取ったのです。
その前妻が引き取った女の子が大沢あかねさんのお母さん。
確かにあかねさんは親分の孫ですが、大沢親分も前妻もそれぞれ再婚したため、あかねさんが大きくなるまで親分との接点はほとんどなかったようです。
あかねさんがジュニアモデルから本格的に芸能界デビューする際に頼ったのが、大沢親分の後ろ盾だったといわれていました。
大沢姓は芸名ですし、「親分の孫」としても有名な大沢あかねさんを親分の現奥さまは快く思っていなかったと言われています。
ただ最初は後ろ盾をしてもらったとしても、その後の活躍はご本人の努力と実力。
大沢親分がテレビなどで孫のあかねさんについてニコニコと語っている所を目にしている一般人としては、
大沢あかねさんも孫であることに変わりはないしな~と思ってしまいます。
むしろ幼い頃側にいられなかった孫に何かしてあげたかったのではないでしょうか。
プロフィール・大沢あかね
本名 川島茜(かわしま あかね) 旧姓 楢尾茜(ならお あかね) 生年月日 1985年8月16日(36歳) 出身地 大阪府大阪市大正区 所属 テンカラット |
小学生の時、新聞の広告を見て自分で劇団に応募。
1994年 子役モデルとしてデビュー。
1999年 『天才てれびくんワイド』初レギュラー。
2001年 14歳の時『ピチレモン』専属モデルになる。
当時少女達のカリスマ的存在だった。
一時は女優業を目指すもバラエティに活路を見出す。
2009年2月、劇団ひとりと結婚。
2010年9月、第一子となる長男出産。
2016年7月、第二子となる次男出産。
2019年3月、第三子となる長女出産。
まとめ
・大沢あかねの父親の消息は不明。
・母親はトラック運転手とスナックで働きながら女手ひとつで大沢あかねを育てた。
上京後は韓国レストラン、韓国語通訳、居酒屋経営、女優などさまざまな仕事をしている。
・大沢あかねは親分の前妻との孫であり、幼い頃は接点がなかった。
子役から活躍され、大沢親分の孫ということで華やかな幼少期を過ごしてきたと思っていたのですが、中々の苦労人であることがわかった大沢あかねさんでした。
劇団ひとりさんという素敵な旦那さまと3人のお子さんに恵まれ、さらに芸能活動も再開。
今後もお身体を大切にがんばってほしいです。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。