坂東巳之助の家系図!父と母は誰?近藤サトとの関係は?
こんにちは、やーまんです。歌舞伎の世界に生まれ育ったサラブレッド、坂東巳之助さん。
とはいえ歌舞伎界は広すぎて巳之助さんがどのくらいすごい方なのかイマイチぴんとこないのですが、
坂東巳之助さんのご両親はどのような方なのでしょう。
近藤サトさんとも関係があるようなので、調べてみました。
プロフィール
二代目 坂東巳之助(ばんどう みのすけ)
本名 守田光寿(もりた みつひさ) 生年月日 1989年9月16日(32歳) 出身地 東京都 出身校 堀越高等学校中退 身長 173cm 所属 ホリプロ・ブッキング・エージェンシー |
1995年、6歳で二代目坂東巳之助を襲名し初舞台を踏む。
父譲りの踊りの名手として知られ、日本舞踊坂東流の家元も務める。
古典歌舞伎に加え、「ワンピース」「NARUTO」といった新作歌舞伎でも存在感を発揮。
映画「東京喰種トーキョーグール」「燃えよ剣」の出演や、
ナレーションなど幅広い分野で活動中。
坂東巳之助の家系図!
坂東巳之助さんの屋号は「大和屋(やまとや)」
父親は十代目坂東三津五郎さん。
坂東三津五郎家は江戸時代から十代目まで継承されてきた
歴史ある家系です。
坂東玉三郎さんや、水谷八重子さんが親戚にあたります。
(※巳之助さんの曽祖父と坂東玉三郎さんは養子なので、血縁関係はありません)
出典:http://www.eonet.ne.jp/
巳之助さんには守田菜生さん、幸菜さんという2人の姉がいます。
また巳之助さんのお父様、十代目坂東三津五郎さんと女優の池上季実子さんはいとこにあたるそうです。
歌舞伎界は「屋号」の持つ格式と人気実力がその方の格付を決めるそうです。
格式が上で無いと主役級の役は回ってこないし、収入も雲泥の差になります。
巳之助さん自身はまだ「修行の身」という所でしょうが、
「坂東三津五郎」は格式高い主役級の名。
「十代目坂東三津五郎」の長男である巳之助さんが
いずれ「十一代目坂東三津五郎」を襲名することになるでしょうから、
巳之助さんは将来有望なサラブレッドということになるのかと思います。
父は誰?
巳之助さんの父親「十代目坂東三津五郎」氏(享年59)
出典:https://ticket-news.pia.jp/
踊りの名手としても知られ、
日本舞踊坂東流の家元でもありました。
中村勘三郎さんとは幼馴染で同学年ということもあり、
良きライバルとして研鑽を積んだといいます。
また十一代目市川海老蔵襲名披露興行の際には、
白血病を発症した十二代目市川團十郎さんの代役として出演し、
活躍を見せました。
人気実力を兼ね備え、次世代を牽引する一人であったはずの坂東三津五郎氏。
しかし2013年に膵臓がんを発症。
手術と治療を歴て舞台復帰を果たしますが、
がんが肺に転移。
2015年2月21日、59歳という若さで亡くなられました。
当時巳之助さんはまだ25歳。
突然すぎる父親の死。
大きな後ろ盾を失ったことへの不安は計り知れません。
しかしその後の巳之助さんの進化は凄まじく、
スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」での1人3役は圧倒的な存在感を放ち話題に。
古典歌舞伎でも大役を務め、最近では舞台に立つ姿が父・三津五郎氏と重なると
評価されています。
母は誰?
巳之助さんの母親は元宝塚歌劇団男役スター・寿ひずるさん(67)
出典:https://fujinkoron.jp/
ご両親は1983年に結婚しています。
巳之助さんには2人の姉がいますが、ひずるさんは
「跡継ぎ(男の子)を産まなければならない」
「梨園の妻として完璧にこなさなければならない」
など常にプレッシャーの中に置かれていたことに加え、
三津五郎さんの女性問題も重なり、
苦労が絶えなかったといいます。
そして三津五郎さんとひずるさんは1997年に離婚。
子どもたちの名字が変わるのはかわいそうだからと、
親権は坂東三津五郎さん、養育権は寿ひずるさんが持つことに。
その後ひずるさんは舞台活動を再開し、
ミュージカルやコンサートで活躍。
現在も音楽活動を中心に続けておられます。
近藤サトとの関係は?
巳之助さんの両親が離婚するに至った原因。
それが三津五郎さんと元フジテレビアナウンサー近藤サトさんとの不倫でした。
不倫が発覚したのは1996年12月。
これにより家庭は一気に崩壊し、1997年に三津五郎さんとひずるさんは離婚。
巳之助さんら子どもたちは寿ひずるさんに引き取られ、
三津五郎さんは近藤サトさんと1998年11月に再婚されました。
当時小学生だった巳之助さんはとても傷つき、
家庭を壊し、母を捨てた父親を憎むようになったといいます。
しかし略奪婚から1年7ヶ月後の2000年6月、三津五郎さんと近藤サトさんは離婚。
この時の離婚会見で近藤サトさんが
「私は結婚に対して子供ができることを望んでおりました。
しかし、誰かの意思によって阻まれるというのは、私にとって理解できませんでした」
と発言したことが大きな話題になったのです。
当時すでに巳之助さんという跡継ぎがいたため、
もし近藤サトさんに男の子が生まれれば跡継ぎ問題が生じることになる。
そのために子作りを禁止されたと暴露したのです。
この時すでに反抗期に突入していた巳之助さんは、
中学・高校時代になると三津五郎さんに手をあげることもあるほど荒れていたといいます。
近藤サトさんへの憎しみも晴れず、会見での発言を知ってか知らずか、
「歌舞伎役者にはならない」と通っていた堀越高等学校も中退。
アルバイトをしながらアマチュアバンドでドラムを担当してました。
しかし半年後に「このままではいけない」」と思い直し、
18歳で再び歌舞伎の道へ。
父からは「本能にそれでいいのか?」と温かい言葉を掛けられ、
「その一言が今の自分に繋がっている」と語っていました。
父親とは和解しましたが、巳之助さん一家に「近藤サト」の名前はいまだタブーだと言われています。
自分たちの家庭を壊し、離婚の際にはお家事情を暴露し、
その後は一切連絡を取ってこなかったにも関わらず、
三津五郎さん亡き後突如「前妻」としてメディアに出てきた近藤サトさんのことを、
巳之助さんが快く思わなかったとしても不思議ではありません。
坂東巳之助・経歴
1991年9月『傀儡師』唐子で本名(守田光寿)で初お目見得(歌舞伎座)
1995年11月『壽靱猿』小猿で二代目坂東巳之助を襲名し初舞台(歌舞伎座)
2006年4月、本名(守田光寿)でアマチュアバンド「ZERO click」を結成。
ドラムを担当していたが、メンバーの大学受験などで活動休止となる。
2015年4月、日本舞踊坂東流家元となる。
2021年8月、『加賀見山再岩藤』「岩藤怪異篇」で、新型コロナウイルスに感染した
四代目市川猿之助の代役として6役を務める。
テレビドラマ、映画、バラエティ番組などにも出演。
まとめ
・坂東巳之助は十代目続く坂東三津五郎の家系だった。
・父親は十代目坂東三津五郎で2015年に逝去。
・母親は元宝塚歌劇団男役スター・寿ひずる。
・両親は離婚しているが、その原因は父親と近藤サトとの不倫。
紆余曲折を経て、荒れた青春時代を経験しての現在。
踊りにも演技にもにじみ出ているのではないでしょうか。
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