兼高かおるは現在も「世界の旅」!?お嬢様家系で若い頃の写真が美人!?
こんにちは、やーまんです。『兼高かおる世界の旅』という長寿番組があったことをご存知ですか?若くて美しい兼高かおるさんが世界各地を飛び回る番組は、当時海外旅行が珍しかった日本人に大人気だったとか。80歳を超えた今も世界の旅を続けているといいますが、どういうこと?結婚はしているのでしょうか。
プロフィール
兼高かおる(かねたか かおる)
本名 兼高ローズ
生年月日 1928年2月29日(88歳)
出身地 兵庫県神戸市
出身校 香蘭女学校、ロサンゼルス市立大学
職業 ジャーナリスト、レポーター、ナレーター、プロデューサー、ディレクター
経歴
インド人の父親と日本人の母親の間に生まれた兼高さんは、香蘭女学校に進学します。
香蘭女学校の後輩には黒柳徹子さんがいるそうです。
アメリカの日本占領政策終了後の1954年、ロサンゼルス市立大学へ留学。
しかし昼夜問わず勉強を続けたため体調を崩し、2年ほどで帰国することになったそう。
その後日本を訪れる外国人へのインタビューや通訳の仕事などをこなしている時に”世界一周早回り競争”を知ります。
1958年、スカンジナビア航空が主催した”世界一周早回り競争”に挑戦し、73時間9分35秒の世界記録を樹立。
プロペラ機による世界一周のこの記録は現在も破られていないとか。
そして記録樹立の翌年、1959年からTBS系『兼高かおる世界の旅』が始まりました。
この番組は1990年までの31年間放送され、兼高さんは31年間世界各地を飛び回り、取材・番組制作を続けていました。
31歳から62歳まで。
パワフルです。
その功績で様々な賞を受賞し、1991年には紫綬褒章を受賞。
現在は日本旅行作家協会名誉会長等を務め、多数の著書を出版されています。
現在も「世界の旅」!?
当時の日本人にあまり馴染みがなかった世界各地を兼高さんが駆けめぐり、その風俗・文化・歴史などを紹介する番組『兼高かおる世界の旅』
日曜の午前中はこれを見ないと始まらない、と言われるほど人気があったとか。
放送当初の取材スタッフは兼高さんとカメラマン、ディレクターの3人のみ。
兼高さんは1人でレポーター、プロデューサー、ディレクター、ナレーターをこなしていたとか。
メイクや衣装も自分で用意していたってことです。
世界150カ国あまりを訪れた兼高さんは当時の国家元首から秘境の地に住む村人まで様々な人と接し、自分の目で見て体験したことを視聴者に伝えていたそうです。
中にはこんな有名人も。
画家、サルバドール・ダリのスペインの自宅を訪問。
出典:croissant
ダリ!?歴史上の人物!?
レベルが違いすぎます。
戦後の日本人の国際旅行は、この番組がバックグラウンドとなっていたといっても過言ではないほど、影響力が大きかったといいます。
1990年に『兼高かおる世界の旅』は終了しましたが、その後も多数の著書を出版され、海外旅行の普及に一役買っています。
2010年にはこんな本を出版されていました。
出典:store.shopping
80歳を過ぎても現役。
「行って、見て、出会って、感じたい。まるでドラキュラのように、見るもの、聞くもの、すべてから吸い取って、細胞を活性化させたい。」
のだとか。
兼高さんは今でも好奇心の塊で、まだ訪れたことのない国への興味は尽きないそう。
「世界を巡る旅はまるでエンドレスの映画を見ているよう」だと語り、
その終わりのない映画を見続けたいと言っています。
まさか文字通り世界を旅していたとは。
体が動く限り、兼高さんの「世界の旅」は続きそうです。
尽きない好奇心・探求心と行動力が若さの秘訣かも。
お嬢様家系で若い頃の写真が美人!?
兼高さんの世代で女学校から大学まで進学するケースは珍しいです。
香蘭女学校は現在も中高一貫のお嬢様校ですし、その後ロサンゼルス市立大学へ留学されていることから相当お嬢様だと思われます。
お父様の職業は三井物産の社長との噂がありましたが、どうやらガセ。
お父様についての情報はインド人であるということしかありませんでしたが、良家の生まれであることは間違いないでしょうね。
育ちが良く、頭脳明晰で行動力も兼ね備えたお嬢様の若い頃の写真がこちら。
出典:tourismhalloffame
出典:croissant
美人!
さすがハーフ!
今でも88歳とは思えない美しさですが、こんな若くて綺麗な人が世界を飛び回り、一人で何役もこなしていたかと思うとスゴイとしか言葉が出ない。
結婚や子どもは?
旅行ジャーナリストという分野の開拓者であり、現在もその普及活動を行っている兼高さん。
その貢献度は計り知れず、美しさと品位も兼ね備えています。
そうなると気になるのが私生活。
結婚は?子どもは?
結婚の経験はなく、独身でした。
wikiではこんな風に。
- 独身である。結婚することがわからないという。(wikiぺティアより)
31年間続いた番組の間、年間半分以上は海外取材。
帰国後は膨大な取材映像を放送時間の30分以内にまとめるべく編集作業にあたり、ナレーションを吹き込む。
それが終わればまた取材へ。
生活の99パーセントの時間を番組に費やしていたそうです。
帰国中も自分の番組を見たことはなく、お正月を日本で過ごすこともなかったとか。
31歳で初めて62歳で終わった番組。
兼高さんは結婚・出産という女性としての生き方に憧れる心もあったそうですが、
「そういう運命を神様は与えなかった」と言っています。
仕事に人生を捧げることを選んだそう。
かっこいいです。
まとめ
最近ご長寿番組が次々に姿を消していますね。
少し寂しい気もしますが、良い番組は終了後も語り継がれていくのだなあと感じました。
『兼高かおる世界の旅』見てみたかったです。
”お嬢様”と言われる人達にも、色んな方がいますよね。
→八木沼純子の家系図に歴代総理大臣が?夫や子供についても調べてみた!
→彩風蘭(元宝塚)の経歴や実家は!?料理も性格もやばくて彼氏も結婚も無理!?
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