吉原知子(JT監督)は現在結婚してる?旦那や子供の存在は?
こんにちは、やーまんです。全日本女子バレーボール元日本代表で”闘将”としてチームを率いた吉原知子さん。
現在はVリーグJTマーヴェラスの監督で、その力量が評価されています。
バレーボール一色のように見える吉原知子さんの私生活はどんな感じなのでしょうか。
プロフィール
吉原知子(よしはら ともこ)
生年月日 1970年2月4日(51歳) 出身地 北海道 雨竜郡妹背牛町(うりゅうぐん もせうしちょう) 出身校 北海道妹背牛商業高等学校卒業 筑波大学大学院体育学専攻卒業 身長 180㎝ 所属 スポーツビズ |
現在結婚してる?旦那や子どもの存在は?
吉原知子さんは2006年に現役を引退されていますが、2015年にJTマーヴェラスの監督に就任するまで、
バレーボール解説者や講演活動など多方面で活躍。
東京オリンピック・パラリンピック委員会の招致委員も務めました。
2009年には高卒ながら大学院へ異例の合格を果たし、指導者になるための勉強をされています。
バラエティー番組などに出ることはほとんどなく、ゴシップ記事も全く無し。
SNSもしていないようで。
はっきり言って私生活はほとんど不明です。
ただ結婚したという話はないようですね。
離婚歴の情報もありません。
竹下佳江さんが2016年に姫路のバレーボールチームの監督に就任された際、子育て中の監督は彼女が初といわれていたので、
もちろん吉原さんには子どももいないようですね。
昔話されていた好きな男性のタイプは「何かに一生懸命な人」
自分がいつも全力でがんばっているからこその発言でしょう。
”尊敬できる人”でないと恋愛対象にもならないと思われますが、
年齢を重ねて好きなタイプも変化したかもしれませんね。
かつて”闘将”と言われ、”怖い”イメージのある吉原さんですが、実はこんなかわいい一面も。
ピーマンやニンジンが苦手。
子どもの頃、にんじんを馬に食べさせているのを見て育った為「わたしは馬じゃない!」と思ってしまうのだそう。
現役時代は「野菜をバランスよく食べなさい」とよく指導されていたといいます。
監督としての手腕は?
吉原知子さんは2015年6月にJTマーヴェラスに就任。
かつて竹下佳江さんや菅原かおるさんなど、元全日本女子代表選手が所属し、Vリーグで準優勝するなど強豪チームだったJT。
しかし主力選手の引退などでチーム成績は低迷し、2014年にV1リーグへ降格していました。
そのチームのVリーグ昇格を託されたのが吉原さん。
就任後、かつての”闘将”ぶりをいかんなく発揮。
「メンタルが弱すぎる!」
と肉体改造と共に意識改革・精神鍛錬を行い、”勝負強さ”を身に着ける特訓をしたそう。
吉原さんは就任わずか1年でチームを見事Vリーグ昇格へと導き、結果を出しました。
その手腕が認められて、2016年に中田久美さんと共に全日本代表監督候補として名前が上がっていました。
中田久美さんは2012年から久光製薬の監督としてVプレミアリーグ優勝3回、全日本選手権優勝4回。
と実力も経験も上でしたので、当時の人選は当然といえるでしょう。
就任当時から「トップを獲りに行く」と目標を掲げていた吉原さん。
その目標は見事達成され、Vリーグで19年度、20年度と2季優勝を果たしました。
そして東京五輪で全日本女子バレーボールが予選で敗退し、
中田久美監督の退任が決まった今、ささやかれるのは吉原知子全日本監督就任説。
これは、どうなるのでしょう・・・
経歴
北海道の農家で育つ。
中学1年生の時にバレーボールを始める。
中学時代、北海道大会で優勝を経験。
バレーボールの強豪校、北海道妹背牛商業高等学校へ進学し、インターハイ出場。
高校3年生の時に全日本代表初選出。
卒業後日立への入社を機に上京。日立ベルフィーユ(現在廃部)にて活躍。
1995年、日本人初のバレーボールプロ契約選手としてイタリアセリエAアンコーナーへ入団。
その後ローマへ移籍するとすぐにスタメンポジションを獲得し、チームの準優勝に貢献。
その年、アトランタ五輪へ出場するため日本へ帰国。
ダイエー→東洋紡→パイオニアと移籍したチームではすべてリーグ優勝へ導き、「優勝請負人」「日本№1センタープレイヤー」などと言われる。
1996年のアトランタ五輪以降、年齢を理由に全日本代表から落選。(当時29歳)
2003年、柳本晶一監督の要請で7年ぶりに主将として全日本代表に復帰。(当時33歳)
2004年、アテネ五輪5位。
2006年、現役引退。
バレーボール解説やや講演活動、普及活動などにあたる。
2009年、指導者の勉強をするため筑波大学大学院体育学専攻へ。
2015年6月、JTマーヴェラスの監督に就任。
まとめ
・吉原知子さんは現在独身の可能性が高く、結婚歴はないと思われる。
・子どもはいない。
・当時2部リーグだったJTマーヴェラスを就任後1年で1部に昇格させ、2季連続優勝に導いた。
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