舛添要一、子供に障害あるが関知せず!元嫁片山さつきはDVを受けていた!
現東京都知事で国際政治学者の舛添要一さん。議員時代には厚生労働大臣を務めたこともありましたが、私生活の女性関係はもはや異常!?結婚歴3回、愛人2人で婚外子を含めると子どもは5人!その性格はかなりエキセントリックで攻撃的なようです。
Contents
プロフィール
舛添要一(ますぞえ よういち)
生年月日 1948年11月29日(67歳)
出身地 福岡県八幡市(現北九州市)
出身校 東京大学法学部政治学科
現職 東京都知事(2014年2月11日~現在)
経歴
1973年ーパリ大学現代国際関係史研究所客員研究員に着任(1975年退任)
1976年ージュネーブ国際研究大学院客員研究員に着任(1978年退任)
1979年ー東京大学教養学部政治学助教授に着任(1989年退任)
1999年ー国際大学グローバルコミュニケーションセンター主任研究員・教授に着任(2001年8月退任)
同年4月ー東京都知事選に無所属で立候補。3位で落選。
2001年7月ー参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補し、初当選。
2007年ー厚生労働大臣に就任。
2010年ー自由民主党離党。新党改革代表に就任。
2013年ー参議院議員通常選挙への不出馬を表明。新党改革代表を辞任。
2014年ー新党改革を離党。東京都知事選へ無所属で立候補し、当選。
結婚歴3回。実は隠されたもう1回結婚歴があった?
舛添さんの一人目の奥さんは大学卒業後に研究員としてヨーロッパに留学していた頃に出会ったフランス人女性だそうです。1978年に結婚し、1981年に破局したとのこと。しかし実はフランス人女性と結婚する前にもフランスで日本人女性と結婚式を挙げていたらしいのです。それが明らかになったのは二人目の奥様の片山さつきさんとの離婚訴訟の最中というのです。ややこしい。
二人目の嫁片山さつき
出典:http://blog.livedoor.jp
小泉政権時代、官僚から衆議院になられた有名人ですね。舛添さんの前妻であることも有名です。二人は1986年に結婚し、わずか2年3か月で離婚しています。
・嫁のキャリアを利用した?
二人の出会いは「お見合い」。当時27歳で大蔵省女性初の主計官として注目されていた片山さんですが、お役所には「女性は結婚するもの」という保守的な風潮があり何度かお見合い話をもちかけられていたそう。しかし仕事を続けたいという気持ちが強く、お見合いにいたらず。そんな中、結婚後も仕事を続けても構わないと理解を示してくれたのが舛添さんだったそうです。この頃舛添さんは東京大学助教授。「ビートたけしのTVタックル」などの討論番組に出演していたころでしょうか。正直私の中の舛添さんは政治家というよりも「討論番組でなんか喋ってた人」という印象が強いです笑 片山さんは、自分との結婚は自分の肩書や立場を利用したかっただけなのだろうと語っています。
結婚前にこんなことがありました。
ある日、私に何も知らせず、彼は夕刊紙の記者を連れてきたんです。
そして、彼との結婚話が1面で報じられた。保守的な役所の世界で生きていたにも拘らず、関係者への挨拶等の段取りを、私はすっ飛ばす形になってしまったわけです。官僚としての私の立場を全く考えていない。彼は、女性キャリアとの婚約という「ニュース」をやはり利用しようとしたんでしょうね。(週刊新潮)
スポンサーリンク
・行き過ぎた”威嚇行為”で「DV」
そして結婚生活が「平穏」だったのは最初の数週間だけだったそうです。
「遅く帰ってきやがって!」突然、彼は怒り始めたんです。いきなりキーッとなって、理由もなく怒鳴る。一方的にまくし立てて、私の言うことは一切聞かない。話し合いにすらなりません。その辺にあるものを、手当たり次第に投げつける。後の話ですが、炊飯器の上蓋が割れていたことも。
またある時は、サバイバルナイフなどいくつものナイフを私の目の前にズラーッと並べた。彼は、ナイフの収集が趣昧だったんです。しかも、そのうちの一つの刃先を私に向けたことまであります。
充分過ぎるほどの威嚇行為でした。今で言えぱ「DV」ということになるんでしょうか。彼は身体も大きいし、ワーツと大声で責め立でてくるので怖かった。ただただ、怖かった。(週刊新潮)
結局結婚から3か月ほどで弁護士に離婚を相談。すると弁護士の調査で舛添さんに愛人がいること、その彼女が妊娠中であることが判明したそう。そのようなことがあり、実際は半年も同居しておらず仮面夫婦だったといいます。正式に離婚が成立したのは2年強後ですが、時間がかかったのは舛添さんが話し合いに応じなかったのが原因で、世間体を考えてのことのようです。
じゃあ3人目の今嫁は当時のその愛人か。今話題の家族旅行問題はその子供とのことか。というとそんなわけもなく。舛添さん、女性関係ぐちゃぐちゃです。
愛人との間に生まれた障害のある子には無関心
愛人Aさんは大学院生だった頃、東大助教授だった舛添さんと知り合ったそうです。その頃舛添さんはすでに片山さんと結婚していましたが、助教授という立場を利用して半ば強制的に内縁のよう通婚関係を結ばされたんだとか。
1988年、Aさんとの間に子どもが生まれていますが、子どもを認知したのは2年後。北海道知事選に出ようとしたからだそう。しかも同時並行で他の女性との間にも子どもができていたとか(この方は後に二人目も出産しています)。なんじゃそりゃ!?
子どもが3歳の時に二人は「公正証書」を交わして別れ、舛添さんからは扶助料が支払われるも直接連絡を取ることや子どもに会うことはなかったそうです。子どもが集団いじめにあっても長期入院をしても一切関知せず、「自分には家庭があるから、メールもよこすな」と弁護士を通して脅してきたと。この舛添さんの言う「家庭」というのが今のご家族なのでしょうね。いや!実子もお前の家族だろ!!と思うのは私だけでしょうか。
子どもには重度の自閉症があり、統合失調症も併発しているため通院や多量の服薬が必要とのこと。ということは常に誰かの見守りや助けが必要な状態であることやお金がかかるだろうということは容易に想像できます。にもかかわらず、2012年、舛添さんの弁護士から突然子どもの扶助料を減額したいという通知が送られてきたそうです。理由は「子供がある程度自立している」「自分の収入が激減している」から。なんて身勝手な・・・
三人目の嫁雅美
現在の奥様が雅美さん。舛添さんが東大助教授だった頃に私設秘書を務め、その縁で1996年に結婚されています。歳の差15歳!ちなみに奥様の出身地は湯河原らしいです。その後二人のお子様が生まれています。
子どもの学校や年齢は?
長女・果連(果蓮?)さん 15~16歳
長男・龍之介さん 13~14歳
誕生日が不明のためはっきりとはわかりませんが、長女は高校1年生、長男は中学2年生くらいでしょうか。通っている学校については公開されていませんが、苗字は舛添と珍しいですし、東京都知事の子どもであることは同じ学校だけでなく周辺でも有名でしょうからお子様達の学校生活は平穏では無くなってしまったのではないでしょうか。父親の不誠実さで子どもが迷惑をする。一番多感な時期であるだけにより辛いでしょうね。
まとめ
不倫がばれて辞職した政治家がいましたが、過去に不倫をしていても都知事にはなれるのですね。子どもの扶助料を減額したいとか、家族旅行や私的な外食を政治資金で使っちゃうところとか、舛添さんの「節約術」は一般人には理解できませんでした。お父さんが稼いだお金だと思っていたら都民が稼いだお金だったのです。巻き込まれた家族はたまりませんね。
先日有吉弘行さんが舛添さんにもあだ名をつけてくれたそうですよ。「はげ暴れ牛」ですと。さすがですね!
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。