君島十和子の夫は婚外子で自身も隠し子が!?娘の宝塚での成績は!?
こんにちは、やーまんです。君島ブランドと言えば化粧品が真っ先に浮かぶ私。以前は皇室御用達のファッションブランドとして有名だったということを知っている人はどれほどいるのでしょう。玉の輿婚をしたかに思われた十和子さんは結婚前も後も君島家のお家騒動に巻き込まれ、苦労されていました。波乱を乗り越えた今、愛娘は夢のタカラジェンヌへ。どの世界も華やかな表舞台の裏では激しい戦いがあるようです。
君島十和子
君島十和子(きみじま とわこ)
旧姓 吉川十和子(よしかわ とわこ)
生年月日 1966年5月30日(50歳)
出身地 東京都豊島区
出身校 日本女子大学附属高等学校
中学時代より雑誌『mc Sister』でモデル活動を始め、1986年に『JJ』専属モデルとなる。
1988年女優デビューし、映画・テレビ・舞台と幅広く活動。
1995年12月、君島誉幸(当時は君島明)氏と結婚し、翌年芸能界を引退。
君島インターナショナルのスーパーバイザーとしてビジネスサポートや商品開発に携わる。
1997年に長女、2001年に次女を出産。
この結婚~出産の間に君島氏の父・君島一郎氏の死、相続問題、借金、倒産、という試練が押し寄せます。
そんな渦中の2005年、自身の化粧品ブランド「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」を立ち上げると、この化粧品が大ヒット。
子育てをしながら夫の経営を救い、美のカリスマとなった十和子さんの生き方は多くの女性たちから注目されています。
夫・君島誉幸は婚外子で自身も隠し子が!?
皇族やパリの社交界にも愛用者がいたファッションブランド「KIMIJIMA」。
KIMIJIMAブランドを一代で築き上げた創業者でデザイナーの君島一郎氏の息子が、十和子さんの夫・君島誉幸(たかゆき)さんです。
出典:ameblo.jp
年齢は十和子さんより一つ上。
結婚した時は君島明(あきら)という名前でしたが、後に改名し、現在の名になりました。
改名理由については明らかになっていませんが、恐らく結婚を前後して降りかかった様々な騒動が原因でしょう。
名前の画数が悪いとか、運気を上げるためとか、そういうことかと。
桑田真澄さんの次男も出生時の状態が良くなく、名前が悪いのが原因だと即改名したそうです。
→桑田真澄と次男Mattが似てないのは母親似か整形か!? 昔の画像と比較!
しかし君島氏の元々の本名は佐藤明さん。
誉幸さんは君島一郎氏と愛人の間に生まれた婚外子だったのです。
誉幸さんがその事実を父に聞かされたのは20代になってから。
父親があまり家に帰ってこないとは感じていたものの、まさか本妻とその子どもが他にいて、自分は内縁の妻の子であるとは思ってもみなかったそうです。
一度は皮膚科医として社会にでた誉幸さんですが、十和子さんと出会った1995年には君島インターナショナルの副社長・君島明として経営のお仕事をされていました。
これは誉幸さんが養子になったわけではなく、誉幸さんのお母様と一郎氏のお母様が養子縁組をして、君島姓を名乗れるようにしたとか。
とにかく複雑です。
さらに複雑なのが、婚外子である誉幸さん自身にも婚外子がいた、ということ。
当時、十和子さんとの婚約会見を行った二日後にこのスキャンダルが報道され、「隠し子発覚!」と連日大騒動だったらしいです。
ただ、すでに認知した子どもがいることは十和子さんは知っていたそう。
すべて承知した上での結婚だったというので、周囲からの反対はあったそうですが、夫婦の危機にはならなかったようですね。
しかし、君島ブランドにはイメージダウンでした。
さらに追い打ちをかけたのが君島一郎氏の死による相続争い。
これによって君島ブランドは失墜します。
君島家お家騒動
君島ブランド崩壊
1970年代、パリの社交界で認知されるようになったファッションブランド「KIMIJIMA」は、海外の上流階級や日本の皇族に愛用され、日本のオートクチュール界で一大勢力を誇った女性たち憧れのブランドでした。
君島ブランドの創設者でデザイナーを務めていたのが君島一郎氏。
君島氏と本妻・由紀子夫人との間には長男・立洋さんが生まれ、立洋さんが26歳の時、会社の副社長に就任します。
しかし半年ほどで「IT会社を設立したい」と退任してしまいます。
この理由は表向きで、実はキミジマの商品が一郎氏の愛人の元へ流れていて、会社内に愛人の存在が大きくあることに気づいてしまったことも一因だとか。
そのようなスキャンダルに身を置きたくない、と思い退任したといいます。
その愛人の息子が立洋さんより3歳年下の誉幸さん。
後に誉幸さんが副社長となり、一郎氏の下で働き始めます。
1996年、誉幸さんと十和子さんの婚約&結婚で発覚した隠し子騒動により、誉幸さんが本妻の子どもではないことなど君島家の複雑な家族関係も明るみになり、ブランドのイメージは急降下。
そんな矢先の同年7月に、一郎氏が急死してしまいます。
そして総額50億円ともいわれた君島グループの遺産相続を巡り、本妻由紀子さんと立洋さんvs誉幸(明)さんの骨肉の争いが勃発。
異母兄弟の2人は、お互いの存在を父親に知らされていたものの一度もあったことはなく、初めて会ったのが一郎氏の霊安室だったとか。
本妻親子からすれば誉幸さんは愛人の子ですが、実際経営を受け継いでいたのは誉幸さん。
互いに譲れない立場から泥沼訴訟に発展し、地に落ちたブランドイメージは売上の激減へ直結。
経営は一気に悪化しました。
結局、一郎氏の遺言書により誉幸(明)さんが家業を継ぐことになりましたが、50億円といわれた遺産の他に、莫大な借金も残っていたのだそう。
プラスの財産はみんなで分配するも、負の遺産は誉幸さんが背負うことに。
更にマイナスイメージが根付いた「KIMIJIMA」ブランドは立て直すことができず、ブティックは全て閉店。
君島インターナショナルは廃業に追いやられました。
この時誉幸さんが負った借金は40億円ともいわれています。
元はと言えば騒動の原点は一郎氏。
とんでもない親父だな。
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君島十和子ブランドで復活
セレブから一転、借金生活へ。
この窮地を救ったのが十和子さんです。
十和子さんは自ら広告塔と化し、十和子ブランドの化粧品を開発。
これが当たって「美のカリスマ」の座を獲得します。
彼女に憧れる「トワラー」の存在がメディアで取り上げられるなど注目され、美容関連のエッセイも売れまくり。
2005年に立ち上げた「FELICE TOWAKO COSME(フェリーチェ・トワコ・コスメ)」の業績はここ数年うなぎ上りだとか。
2013年4月期の決算で年商13億といわれていましたから、現在はさらに上をいっているでしょう。
「FELICE TOWAKO COSME」の代表取締役社長は誉幸さんで、十和子さんはあくまで商品開発担当。
夫の皮膚科医の経験も活かして化粧品部門を立ち上げたと夫を立てていますが、やはり十和子さんありきの事業。
この十数年で「君島」といえば「君島十和子の化粧品」というイメージができあがりました。
ちなみに君島一郎氏の本妻・由紀子さんと長男・立洋さんは自身で「Yukiko Kimijima」ブランドを展開し、表参道と元町にお店を出しています。
娘の宝塚での成績は!?
君島さんの長女・憂樹(ゆうき)さんが競争率26.6倍の難関を突破し、宝塚音楽学校102期生に合格したのは2014年。
2度目の挑戦での合格でした。
十和子さんの宝塚好きは業界内で有名らしく、娘をタカラジェンヌに育てることが夢で、憂樹さんは幼少期から宝塚の登竜門といわれる都内の名門バレエ団に通うなどレッスンを受けていたといいます。
そんな十和子さんの期待を受けて育った憂樹さんは昨年音楽学校を卒業し、夢のタカラジェンヌに。
芸名は「蘭世惠翔(らんぜ けいと)」
出典:yahoo.co.jp
業界で有名な占い師から付けてもらったという「スーパーウルトラ大吉」運を持つ名前だそう。
まあ、名前は大事ですよね。でも読めない。
さすが十和子さんの娘。綺麗です。
身長は170㎝。
月組の男役で活動されています。
宝塚歌劇団は、その養成校である音楽学校へ入ることがまず狭き門。
晴れて劇団員となっても「トップスター」になれるのはほんの一握りです。
トップスターになれるかどうかは、「入学時の成績、在学中の成績、卒業時の成績」に加え「入団してから5年目の成績」で決まると言われているそう。
さらに演出家やプロデューサーから認められるかもポイントで、それらを総合してトップスター候補となった人を、ファンの間では「路線に乗った」と呼ぶそう。
この「路線」に乗れる人のほとんどが、1回目の試験で合格した人なのだとか。
憂樹さんは2回目の受験での合格。
卒業時の成績は同期生39人中13番、男役としては7番と、飛び抜けて優秀というわけではありませんでした。
しかし身長が170㎝と高く、ビジュアルが抜群。
舞台に立った時の”華”という天性のものをもっているため「未来の男役スター」の有望株として期待されているそうです。
宝塚音楽学校の文化祭では主演を演じ、演劇部門優秀賞で表彰されています。
かつて最下位の成績で入団した檀れいさんは群を抜いた美貌でトップスターに上り詰めた、といわれていますし、やはり成績だけでなく”華”がどれだけあるかが重要かと思われる宝塚の世界。
もうすぐ入団2年目を迎える蘭世惠翔さんの試練はこれからのようです。
まとめ
・君島十和子さんの夫、誉幸さんは父親の愛人との間に生まれた子(婚外子)でしたが、両親は内縁関係にあるという複雑な家庭でした。
・誉幸さん自身にも結婚していない女性との間に生まれた子どもがいて、認知していました。
・長女、憂樹(蘭世惠翔)さんは、成績がものすごくいいわけではないものの、男役スターの有望株でした。
こんな昼ドラに出てきそうな話が現実に起こっていたことに驚きです。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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