ヤマザキマリの夫ベッピーノの職業はシカゴ大学教授?炎上で離婚寸前だった?
こんにちは、やーまんです。古代ローマを舞台にした大ヒット漫画『テルマエ・ロマエ』の作者、ヤマザキマリさん。
夫は14歳下のイタリア人というなんとも羨ましい限りですが、一体どんな方なのでしょう。
また作品の大ヒットの裏では家族危機が起こっていたようです。
世界中を飛び回って来た彼女の波乱で魅力的な人生も気になります。
ヤマザキマリ
ヤマザキマリ
生年月日 1967年4月20日(54歳) 出身地 東京生まれ。北海道育ち。 出身校 国立アカデミア美術学院(フィレンツェ) 所属 スマイルカンパニー |
夫ベッピーノの職業はシカゴ大学教授?
ヤマザキマリさんの夫は14歳年下のイタリア人、ベッピーノさん(40)
ヤマザキさんが漫画で表現する夫はこんな感じ。
出典:https://naka3-3dsuki.hatenablog.com/
比較文学研究者であるベッピーノさんは、ザ・文学者!で超真面目。
日本人が想像するイタリア人気質とは程遠く、現地でもイギリス人に間違えられることがあるそう。
実物はこんな感じ。
出典:moretsu.exblog.jp
右後ろのスラッとした英国人風の男性が、イタリア人のベッピーノさん。
ちなみにベッピーノさんの隣に写っているのが彼の母親で、写真左前にしゃがむ白髪の男性が父親。
ベッピーノさんは考古学などの文学を研究し、大学卒業後は文学研究者となっていました。
ベッピーノさんの仕事関係で家族はシリアやポルトガルなど海外各地を移り住んでいましたが、その一つがシカゴ。
ベッピーノさんは2009年にシカゴ大学で比較文学の教員になることが決まり、家族でシカゴへ移住しています。
教授ではなかったようです。
とはいえシカゴ大学は世界大学ランキングトップ10に入るほどの優秀校。
新しい環境での生活は大変だったようです。
ヤマザキマリさん曰く、「アメリカのエリート層の働き方は凄まじく、涙も情けもない厳しい競争社会」だそうで、
そのアメリカ式の働き方に対応できなかったペッピーノさんは、「大学側の慰留を蹴っ飛ばしてイタリアへ帰っちゃった」そうです。
ということで、2013年に夫婦はイタリアへ戻り、ヤマザキマリさんはイタリアと日本を往復していました。
ちょうど息子のデルスさんがハワイ大学へ進学したタイミングと重なるのではないでしょうか。
現在ベッピーノさんはイタリア北部パドバの高校で教師をしているそうです。
炎上で離婚寸前だった?
2008年、漫画『テルマエ・ロマエ』は単行本発行部数800万部を超える大ベストセラーに。
そして2012年に映画化されたちょうどその頃。
ベッピーノさんがシカゴ大学へ移ることになり家族はポルトガルからシカゴへ移住。
しかし飯の食えない比較文学研究者の夫と、漫画家として大ヒットした妻との間に溝ができ始めていました。
ベッピーノさんはアメリカの大学という新しい環境下で必死。
一方のヤマザキマリさんも映画の著作権問題などで炎上騒動の渦中にいたのです。
炎上の内容は、
・2012年に映画化された『テルマエ・ロマエ』の興行収入は60億円と大ヒット。
・にも関わらず、ヤマザキマリさんに支払われた原作料が100万円ほどだった。
・このことが2013年にテレビ番組で暴露され、映画の制作サイドに批判が殺到した→炎上。
というもの。
原作料は映画制作サイドから出版社、出版社からヤマザキマリさんへとお金が支払われていて、
契約内容としては問題がなく、ヤマザキマリさん的には同意の上。
しかし契約書の交わし方や著作権について、日本とイタリアでは考え方が異なり、
ベッピーノさん家族とヤマザキさんは毎日「嵐のように揉めまくった」とか。
またイタリア人特有の母親の息子への過大な愛情のかけ方はヤマザキさんには理解不能で、
「何度離婚という言葉が脳裏を過ぎったか知れない」と言っていました。
「おまけに健康も損ない、絶不調の状態だった。」
というシカゴ時代。
息子のデルスさんもシカゴの高校で勉強漬けの大変な毎日を送っていて、
家族それぞれが自分のことでいっぱいっぱいだったといいます。
揉めては話し合い、解決策を見出してきたのでしょう。
暗黒時代を乗り越え結婚生活20年も間近の2人ですが、コロナ禍で喧嘩再び。
コロナの流行により早々にイタリアが渡航中止になってしまったことで、日本にいたヤマザキさんはイタリアへ戻れなくなり、1人自宅軟禁状態となってしまったベッピーノさん。
毎日のように「日本の対応は緩すぎるのではないか」と批判電話をかけてくるようになったそうです。
文化や慣習の違いがあるものの、「イタリアの判断は間違っていない」と他の意見を聞こうとしない夫とヤマザキマリさんは
とにかく「毎日ネット電話越しに大いに揉め続けていた」とか。
思わぬ所で異文化間のハードルを感じ、疲れ切ったそうです。
この時のことが「離婚危機!?」と表現されていました。
しかし徐々にヤマザキさんの中で気持ちに変化が。
国が違うから起こる問題ではなく、日本人同士の夫婦でも普通に起こる問題だ。
という考えに達し、相手を受け入れられるようになったそう。
コロナに関しては全員が手探り状態だったので、ご主人の考え方にも変化が現れたようです。
最近はお互いにネット通販でプレゼントを贈り合うという”オンラインサプライズ”をし合う仲で、夫からは毎日のように自分の作った料理の写メが送られてくるそう。
ラブラブです。
また東京五輪開催前にご主人は日本に滞在していたそうで、久しぶりの家族生活を楽しまれたのではないでしょうか。
馴れ初めは?
そもそもなぜ14歳年下のイタリア人とヤマザキマリさんは子連れ結婚されたのか。
二人の出会いはヤマザキさんが34歳の時。
ヤマザキさんは14歳でヨーロッパへ一人旅をするという凄い経験の持ち主なのですが、その旅で出会いお世話になった「マルコじいさん」と、ヤマザキさんの母親が手紙のやり取りを続けていたことがきっかけ。
マルコじいさんが亡くなった後、ヤマザキさんは母親の勧めでイタリアに住むマルコじいさんの娘家族の家にしばらく行くことになったそう。
もちろんデルスさんも一緒に。
そこにいたのがマルコじいさんの孫で当時大学生だったベッピーノさん。
デルスさんはベッピーノさんによく遊んでもらったそうです。
またゴリゴリのローマオタクだったベッピーノさんとヤマザキさんは三日三晩古代ローマの話で盛り上がったといいます。
昼間はデルスさんと遊び、夜はヤマザキさんと古代ローマトーク。
彼としては毎日が楽しくて仕方なかったのでしょう。
ヤマザキさん帰国後、古代ギリシアの女神像のコピー写真と熱烈なラブレターが送られてきたといいます。
なんとベッピーノさんはヤマザキさんがいなくなったことで食事も喉を通らず心身が衰弱し、心筋炎で入院してしまったとか。
病院から震える声で「僕はあなたと一緒に暮らした方がいいと思うようになったので、結婚しませんか」と電話越しにプロポーズしてきたそうです。
当時ヤマザキマリさん35歳。べッピーノさん21歳(大学生)。
14歳差のカップルは2002年に結婚。
当時彼の留学先であったエジプトのイタリア大使館で結婚式を挙げた二人。
大学卒業後文学研究者となったベッピーノさんに付いて、家族は中東やポルトガル、シカゴなど海外各地を回る生活を送りました。
ヤマザキさんの代表作『テルマエ・ロマエ』が生まれたのはポルトガルでの生活中だったとか。
ベッピーノさんの体験や感想も、漫画に生かされているといいます。
ヤマザキマリ:経歴
17歳でイタリアへ留学後、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で油絵や美術史を11年間学ぶ。
27歳で妊娠が発覚し、出産後帰国。
イタリア語の講師や美術展のキュレーター、ラジオ番組やテレビのレポーターなど、7~8本の仕事を掛け持ちで働く。
2008年漫画『テルマエ・ロマエ』が単行本発行部数800万部を超える大ベストセラーとなり、マンガ大賞や手塚治虫文化賞短編賞などを受賞。
2012年には映画化される。
その後も漫画家として活躍しながら文筆家として執筆活動も行い、メディアに登場することも増加。
エジプト、シリア、ポルトガル、アメリカを経て現在はイタリアと日本に拠点を置く。
2016年、平成27年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
2017年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ綬章。(日本の漫画家として初)
東京造形大学客員教授。
まとめ
・ヤマザキマリの夫ベッピーノの現在の職業はイタリアの高校教師。
・シカゴ大学では比較文学の教員をしていたが、アメリカの働き方が合わずに辞めていた。
・映画の著作権問題で炎上し、家族と契約についての意見が合わずに離婚を考えるほど毎日ケンカになっていた。
・コロナ禍でも文化の違いを感じ、離婚危機が訪れていたが、現在は解消されている。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。