ヤマザキマリは夫と離婚寸前だった!?息子はハーフイケメン!?

こんにちは、やーまんです。古代ローマを舞台にした大ヒット漫画『テルマエ・ロマエ』の作者、ヤマザキマリさん。夫は14歳下のイタリア人というなんとも羨ましい限りですが、作品の大ヒットの裏で家族危機が起こっていたようです。世界中を飛び回って来た彼女の波乱で魅力的な人生も気になります。
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プロフィール
ヤマザキマリ
生年月日 1967年4月20日(53歳) 出身地 東京生まれ。北海道育ち。 出身校 国立アカデミア美術学院(フィレンツェ) 所属 株式会社CRG(クリエイティブ・ガーディアン) |
17歳でイタリアへ留学後、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で油絵や美術史を11年間学ぶ。
27歳で妊娠が発覚し、出産後帰国。
イタリア語の講師や美術展のキュレーター、ラジオ番組やテレビのレポーターなど、7~8本の仕事を掛け持ちで働く。
2008年漫画『テルマエ・ロマエ』が単行本発行部数800万部を超える大ベストセラーとなり、マンガ大賞や手塚治虫文化賞短編賞などを受賞。
2012年には映画化される。
その後も漫画家として活躍しながら文筆家として執筆活動も行い、メディアに登場することも増加。
夫と離婚寸前だった!?
夫は14歳下のイタリア人!
ヤマザキマリさんの夫は14歳年下のイタリア人・ペッピーノさん(39)
ヤマザキさんが漫画で表現する夫はこんな感じ。
出典:https://naka3-3dsuki.hatenablog.com/
比較文学研究者であるペッピーノさんは、ザ・文学者!で超真面目。
日本人が想像するイタリア人気質とは程遠く、現地でもイギリス人に間違えられることがあるそう。
実物はこんな感じ。
出典:moretsu.exblog.jp
右後ろのスラッとした英国人風の男性が、イタリア人のベッピーノさん。
ちなみにベッピーノさんの隣に写っているのが彼の母親で、写真左前にしゃがむ白髪の男性が父親。
つまりヤマザキさんの舅姑です。
考古学などの文学を研究していたペッピーノさんと、古代ローマのオタクだったヤマザキさんは古代ローマやイタリアの歴史などの話で意気投合したとか。
出会いや馴れ初めは?
二人の出会いはヤマザキさんが34歳の時。
ヤマザキさんは14歳でヨーロッパへ一人旅をするという凄い経験の持ち主なのですが、その旅で出会いお世話になった「マルコじいさん」と、ヤマザキさんの母親が手紙のやり取りを続けていたことがきっかけ。
マルコじいさんが亡くなった後、ヤマザキさんは母親の勧めでイタリアに住むマルコじいさんの娘家族の家にしばらく行くことになったそう。
そこにいたのがマルコじいさんの孫で当時大学生だったペッピーノさん。
ゴリゴリのローマオタクだったペッピーノさんとヤマザキさんは三日三晩古代ローマの話で盛り上がったそうです。
彼としては毎日が楽しくて仕方なかったのでしょう。
ヤマザキさん帰国後、古代ギリシアの女神像のコピー写真と熱烈なラブレターが送られてきたといいます。
なんとペッピーノさんはヤマザキさんがいなくなったことで食事も喉を通らず心身が衰弱し、心筋炎で入院してしまったとか。
病院から震える声で「僕はあなたと一緒に暮らした方がいいと思うようになったので、結婚しませんか」と電話越しにプロポーズしてきたそうです。
当時ヤマザキマリさん35歳。ペッピーノさん21歳(大学生)。
14歳差のカップルは2002年に結婚。
当時彼の留学先であったエジプトのイタリア大使館で結婚式を挙げた二人。
大学卒業後文学研究者となったペッピーノさんに付いて、家族は中東やポルトガル、シカゴなど海外各地を回る生活を送りました。
ヤマザキさんの代表作『テルマエ・ロマエ』が生まれたのはポルトガルでの生活中だったとか。
漫画は大ヒットし、さぞ生活は楽になり幸せな生活を送られていたのかと思いきや、意外にもその大ヒットが夫婦の溝を深めることになったとか。
漫画ヒットで離婚危機!?
漫画『テルマエ・ロマエ』は単行本発行部数800万部を超える大ベストセラーに。
そして映画化されたちょうどその頃。
ペッピーノさんがシカゴ大学へ移ることになり家族はポルトガルからシカゴへ移住。
しかし飯の食えない比較文学研究者の夫と、漫画家として大ヒットした妻との間に溝ができ始めていました。
アメリカという新しい環境下で必死のベッピーノさんと、映画の著作権問題などが勃発していたヤマザキさんとの間で喧嘩が増えていたといいます。
契約書の交わし方や著作権について、日本とイタリアでは考え方が異なり、ペッピーノさん家族とヤマザキさんは毎日「嵐のように揉めまくった」とか。
またイタリア人特有の母親の息子への過大な愛情のかけ方はヤマザキさんには理解不能で、
「何度離婚という言葉が脳裏を過ぎったか知れない」と言っていました。
「おまけに健康も損ない、絶不調の状態だった。」
というシカゴ時代。
揉めては話し合い、解決策を見出してきたのでしょう。
暗黒時代を乗り越え結婚生活18年の二人ですが、今年のコロナ騒動で喧嘩再び。
コロナの流行により早々にイタリアが渡航中止になってしまったことで、日本にいたヤマザキさんはイタリアへ戻れなくなり、1人自宅軟禁状態となってしまったペッピーノさん。
毎日のように「日本の対応は緩すぎるのではないか」と批判電話をかけてくるようになったそうです。
文化や慣習の違いもあり、一概にどちらが正しくてどちらが間違っているとはいえないと思うのですが、
「イタリアの判断は間違っていない」と他の意見を聞こうとしない夫と
とにかく「毎日ネット電話越しに大いに揉め続けていた」とか。
思わぬ所で異文化間のハードルを感じ、ヤマザキさんは疲れ切ったそうです。
この時のことが「離婚危機!?」と表現されていたので、再び「離婚」という言葉が過ぎったのかもしれません。
しかし徐々にヤマザキさんの中で気持ちに変化が。
国が違うから起こる問題ではなく、日本人同士の夫婦でも普通に起こる問題だ。
という考えに達し、相手を受け入れられるようになったそう。コロナに関しては全員が手探り状態だったので、ご主人の考え方にも変化が現れたようです。
最近はお互いにネット通販でプレゼントを贈り合うという”オンラインサプライズ”をし合う仲で、夫からは毎日のように自分の作った料理の写メが送られてくるそう。
ラブラブです。
二人が最後に会ったのは2019年の12月。早く逢いたいでしょうね。
息子はハーフイケメン!?出身大学や現在は!?
お気づきでしょうか。
プロフィールに27歳で妊娠発覚。出産後に帰国。
とあったことを。
ヤマザキさんの結婚は35歳。
そう、ヤマザキさんはシングルマザーで子連れ婚だったのです。
ペッピーノさんと出会った時、ヤマザキさんの隣には6歳の息子・デルス君がいました。
シングルマザーとなった経緯については後ほど詳しく書きますね。
ちなみに未婚の母だったので、ペッピーノさんとの結婚は初婚です。
じゃあデルスくんは日本人かというと、イタリア人とのハーフ。
子どもの頃はこんなにかわいらしい。
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1歳の時のピエラと6歳の時の息子 ゴールデンレトリバーの年齢加算だと14歳で人間の113歳だそうだから、間も無く18歳のこの子は物凄いご長寿犬だということですね。
そして17歳になった彼がこちら。
出典:facebook
イケメンと見るかどうかは好みによる。
残念ながら最近の画像は見つかりませんでしたが、SNSのアイコンから察するにあまり変わっていないかも。
出典:twitter.com
幼い頃から世界各国を周り、現地の学校にぶちこまれ、たくましい母親に「自由であれ!」と育てられた彼は今年25歳。(2020年時点)
2019年、ハワイ大学マノア校機械学部を卒業し機械工学士を取得しています。
交換留学生として京都大学にも通っていたので、かなり優秀だと思われます。
そして大学を卒業した彼が現在何をしているかというと、わかりません(笑)
デルスさんは大学卒業後、すぐに就職せずネパールへ旅に出ていました。
「母からも卒業後すぐに就職するよりは、就学中にはできなかった体験をするべきだと強く勧められていた」
と母・ヤマザキマリさんからアドバイスがあったそうで、自身も自由に旅ができるとすれば、仕事を見つけるまでの今しかないと旅行を決めたそうです。
この考え方は目からウロコ。
11月に始まったネパール旅行は2020年5月まで続いていましたが、コロナの拡大により2020年5月に帰国されたようです。
大学入学当初はエンジニアを目指していたそうですが、写真や絵を描くことや執筆も好きで、進む道に迷っていたら、最近になってヤマザキさんから助言があったそう。
「出家したら?」と。
ヤマザキさんの言う「出家」は日本のお寺に限らず、ミャンマーのお坊さんとか仏教国へ行くのもありなんじゃないかということ。
哲学的で仏教の本なども読みまくっているデルスさんは、時々はっとするほど良いことを言うのだそう。
そのうち出家しているかもしれません。
人生は波乱万丈!?
未婚でシングルで一人息子を育て、14歳下の夫と結婚したヤマザキさんの人生は波乱万丈。
ヴィオラ奏者の母親と指揮者の父親との間に生まれたヤマザキマリさん。
父親は早くに亡くなり、2歳下の妹と共に女手一つで育てられました。
ミッション系スクールに通っていたお母様は、とても大らかで”常識”や”世間体”というものには一切囚われない破天荒タイプ。
オーケストラの仕事で家を空けることが多かったお母様に変わり、妹の保育園のお迎えにヤマザキさんが行ったりと子ども二人きりで過ごすことが多く、自然と妹にも頼られるようになり、自立は早かったといいます。
幼い頃からヴァイオリンやピアノを習っていたヤマザキさんですが、自身は音楽よりも絵とお話を作ることが大好きで、紙芝居を山のように作っていたとか。
そんな絵が大好きなしっかり者の幼少時代を過ごしたヤマザキさんは、14歳の冬休みに一人でヨーロッパ旅行を体験します。
一緒に行くはずだった母親が行けなくなっての一人旅とのことですが、送り出した母親も旅立ったヤマザキさんもすごい。
その旅で出会ったのがイタリア人のマルコじいさんで、そのお孫さんが現在の旦那様。
ヨーロッパ一人旅から帰国後、日本の規則や規定、”世間体”というものに窮屈さを感じるようになったヤマザキさん。
ミッション系スクールに通っていたそうですが、高校時代はパンクにハマり、ドレッドヘアやスキンヘッドにしたこともあるとか。
制服も規制の形が気に入らず、60年代風にリメイクしていたといいます。
当然その度に呼び出し。
大らかなお母様もさすがにこれはヤバイと思ったようで、17歳の時にお母様のススメでイタリアへ留学することに。
高校を辞めて大検を受け、フィレンツェの国立アカデミア美術学院で油絵や美術史を11年間学びました。
そのフィレンツェで過ごした学生時代に付き合っていたのが息子の父親になる4歳年上の彼氏(イタリア人)。
彼はとても知識が豊富で頭の良い人で、人間として魅力的な方だったようですが、生活力が全く無い自称詩人。
ヤマザキさんがアルバイトを掛け持ちして彼を養いながら、学生として勉強も続けていたといいます。
しかし同棲生活10年、27歳の時に妊娠が発覚。
子どもという現実を目の前に突きつけられたヤマザキさんは、ドラマチックな生活に終わりが来たことを悟ります。
「このままでは生まれてくる子どもに幸せで楽しい世界を見せてあげられない」と。
彼氏と子ども二人を養うなんてとても無理。
ということで、出産後彼氏と別れて北海道へ帰国。
その時に帰国資金を稼ぐため、漫画を書いて日本のとある新人賞に応募。
それが努力賞に選ばれ、見事賞金を手にし、帰国費用に充てることができたそうです。
しかしすぐに漫画家として食べていけるはずがなく、シングルマザーとして子どもを養うためイタリア語の講師や美術展のキュレーター、ラジオ番組やテレビのレポーターなど、7~8本の仕事を掛け持ちで働いたとか。
そんな生活の中、マルコじいさんの死をきっかけに母親に勧められて、当時6歳だった息子を連れてイタリアへ行った所、ペッピーノさんに出会ったのでした。
人生何がどう繋がっているかわかりませんね。
まとめ
自身の人生がドラマや映画になりそうなヤマザキマリさん。
ローマオタクという共通の趣味がある二人に離婚の可能性は低そうですが、喧嘩は激しそうですね。
それにしても若い旦那がいるからか、世界を飛び回っているからか、若いし美人。
長文お付き合いありがとうございました。
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