【情熱大陸】森本喜久男に家族はいる?カンボジアに捧げた人生の余命は!?
こんにちは、やーまんです。癌で余命宣告を受けながらも、カンボジアの織物復興に貢献されているテキスタイル・デザイナー森本喜久男さん。海外生活が長い彼の家族の存在は?病状はどうなのでしょう。
プロフィール・経歴
森本喜久男(もりもと きくお)
1948年生まれ(68歳)
出身地 京都府
職業 テキスタイルデザイナー、クメール伝統織物研究所(IKTT)代表
20代で京都の手描き友禅の工房に弟子入りした森本さんは、レイデザイン研究所テキスタイルデザイン科を卒業後独立し、手描き友禅工房を主宰。
30代に入り、友禅職人として行き詰まりを感じた森本さんは、ふとした縁がきっかけでタイを訪れます。
その後、タイで友禅職人の仕事をしようと考え、タイの難民キャンプの織物学校へボランティアとして参加。
東北タイの農村での手織物プロジェクトの設立などに関わるなど、タイで活動を続ける中でカンボジアの素晴らしい織物=クメール織物に出会いました。
出典:iktt.esprit
初めてクメール織物を手に取った時、その美しさに圧倒され、一瞬で魅了されたといいます。
1992年にはタイの大学でテキスタイルデザイン科の講師に就任。
1995年、ユネスコ・カンボジアの手織物プロフェクトのコンサルタントを経験します。
それらの経験の中でカンボジアの美しい織物作りが絶滅寸前の危機にあることを知ります。
そこで1996年、カンボジア伝統の織物の復興を目的とする「IKKT(クメール伝統織物研究所)」を設立。
さらに2003年、カンボジア・シェムリアップ郊外に織物の村を作り、世界最高級と評される絹織物の復興支援を行いました。
それらの功績が称えられ、2004年に「世界中の新規及び進行中の独創的かつ革新的なプロジェクトを実行している個人」に贈られるロレックス賞を受賞。
さらに2010年、社会貢献者表彰を授与。
2012年には大同生命地域研究特別賞を受賞し、2014年に外務大臣賞を受賞しています。
聞いたことのない単語が多いのですが、とにかくカンボジアのクメール織物の絶滅危機を救い、社会貢献に尽力した素晴らしい人です。
家族はいる?
30代からタイで生活を始めて海外と日本の行き来を繰り返し、カンボジアで村を作って14年。
勝手な偏見ですが、こういう多忙で開拓に関わるような方は独身だろうと思っていました。
ところが驚き。
森本さんには日本で暮らす娘・彩香(あやか)さんがいらっしゃいます。
実は20歳の時に結婚した森本さん。
しかし結婚後に自室神経失調症を発症。
1年ほどで病気は完治し、娘も生まれ、幸せな日々を過ごしていましたが、夫婦のすれ違いから30歳の時に離婚していました。
その後35歳で海外のボランティア活動を始めているので、娘さんは元妻が引き取ったのでしょう。
結婚・離婚・仕事への行き詰まりの中見出したのが海外活動だったのですね。
森本さんが20代の時の子どもなので、娘さんの年齢は40代。
すでに結婚し母になっているかもしれません。
森本さんにとって今はカンボジアの村人達が家族であり、かけがえの無い宝物なのだといいます。
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カンボジアに捧げた人生
タイでのボランティア活動で出会ったカンボジアのクメール織物に魅了された森本さん。
どうしても作業場を見たいと現地を訪れることにしますが、当時カンボジアは内戦の真っ只中。
3か月かけてようやく辿り着いたクメール織物を作っていた村は、職人のほとんどが行方不明に。
1200年続いたクメール織物が絶滅の危機にあることを知ります。
そこで2002年、カンボジアのシェムリアップ郊外の荒廃した森を購入。
発電機などのインフラを整備し、畑を耕して桑の木を栽培。
若い女性の職人を育成し、織り手となる女性たちの環境を整えました。
3億円もの私財を投げうって村を一つ作ったのです。
絹を生み出す蚕の飼育から染め、織りまでの一連全てを村人の手作業で行えるような仕組みづくりに奔走。
さらに織り手さん達が安心して仕事ができるように、と作業場の隣に子どもが休めるスペースを設け、村に学校も作ったといいます。
すべては質のいいクメール織物を作るため。
森の天然染料を使い、カンボジアの伝統的な織物技術と高い芸術性を持つクメール織物は世界最高級の絹織物と絶賛されるまでになりました。
日本人でありながらその半生をかけて絹織物文化を再興させた森本さんの功績はまさに奇跡とカンボジア国内外から賞賛を浴びています。
現在村には70名ほどの老若男女が暮らしているといいますが、3年前のインタビューでは「150名ほどいる」と語っていたので実際はもっといるのかもしれません。
余命は?
森本さんは膀胱癌と診断され、何もしなければ余命5年との宣告を受けました。
しかし彼は治療を受けず村に戻り、村人たちには病気のことは知らせていないといいます。
そして今年がその5年目。
5年の時間があるなら、治療を受ければ治った可能性もあると思うのですが、森本さんにとって大切なのは村人たち。
「村が発展途上の段階で治療のために村を離れる」という選択肢はなかったのかもしれません。
「死はごく自然なこと」だと語る森本さん。
そんな彼が人生を捧げた織物の村「伝統の森」は見事にクメールシルクの技術を復活させ、今では現金収入が得られる未来を照らす場所になりました。
現在は痛みに耐えながらも、自分が最後に何を残せるかを模索しているそうです。
まとめ
森本喜久男さんは自分の知識と技術と財産を全てカンボジアに捧げた方でした。
自分がいなくなった後も村人たちの生活が発展していけるよう、これからも奮闘していくのだと思います。
こういう素晴らしい方には長生きしていただきたいですね。
それにしても、色々な仕事があります。
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